青字:生徒(勝爺)
茶字:先生(青村豆十郎)
2-5の課題 小倉前句付をつくる。 添削
【説明】
小倉前句付は前句付同様に雑俳の一種目です。
中身は小倉百人一首の後半部、下の句の方だけを「そのまま残し」、前半部、上の句にはまったく違う五七五を考えて付けるというものです。
前句付における御題が「小倉百人一首に採られた和歌の下の句」という条件に変わったわけです。内容は前句付同様に俗なものが好まれるようですが、詞の狂などの技巧を凝らす必要はありません。
「小倉前句付」となりますとただの前句付とは少し違う場合が出て来ます。江戸時代の作品でその一例を見てみましょう。
吸い物をこぼした人の気の毒さ 我が衣手はつゆに濡れつつ下の句にある「つゆ」という言葉について、「夜露」の意味から汁物を意味する「つゆ」、おつゆに変えているという点に気が付きます。普通の前句付では付けた上の句によって下の句の意味に変化を与えることは通常起こりません。
この歌のように下の句と結びつきが出来ていると、一句立にはなりません。前句付では一句立を高く評価し、それを狙っていきますが、狂歌では逆です。
実は和歌や狂歌の世界では、下の句を省いても意味が通るような歌、つまり一句立とおなじ現象を起こしている歌は「腰折れ歌」として嫌う傾向があります。
小倉前句付では「なるべく下の句に影響を与える上の句」「下の句が無ければ成立しない上の句」であるよう注意を払い、腰折れとならないように仕立てます。
今回の課題は「小倉本歌取」や「もじり百人一首」とは違います。付ける上の句について、本歌の内容を引きずらないように気を付けましょう。
晴れ間から転じ天候五月雨の 我が衣手はつゆに濡れつつ
春に着て夏にも着れば汚れたる 衣干すちょう天の香具山
のような歌は今回目指すところではありません。
下の句について、そのまま使うのが原則ではありますが、必要があれば漢字表記を仮名などに直すことが認められます。また同音異義語への置き換えも今回、可とします。
例えば、
プロならば塩で戴く天麩羅も 我が衣ではつゆに濡れつつ
この場合は「手」を平仮名にしていますが、この種の詠みがあります。
こうした条件をうまく使ってください。
年寄りがまた繰り言に良き時を 偲ぶることの弱りもぞする
隣家より貰いし石榴実を割れば 貫き留めぬ玉ぞ散りける
打って出る策探りつつ難攻の 城、機を見れば夜ぞ更けにける
飼い主のメリーの元を抜け出して 夢の通い路人目避くラム
血糖値 高止まりして 酒やめる 人の命の 惜しくもあるかな
これは良句です。しかし、もう少し捻ってもよいかと思われます。
例えば「友の死を 知って暫く 酒やめる」などのようにです。
友の死を 知って暫く 酒やめる 人の命の 惜しくもあるかな
サンマ焼く 煙たなびく 裏長屋 いづこもおなじ 秋の夕暮れ
これは侘びた美観で俳諧ならば悪くないのでしょうが、狂歌師としては褒められない作品です。
まずもって、今時、秋刀魚を焼いている裏長屋をちょくちょく見かけるなんてことがあるでしょうか?
想像だけの作であり、しかも面白み(心の狂)は少ない、非現実を扱うようなものでもない。これではダメです。
“いづこもおなじ 秋の夕暮れ”を用いる時、常套手段と言えるのが比較対象を外国にすることです。
例えば
呑んで尚 妻が怖いと ブータン人 いづこもおなじ 秋の夕暮れ
のような感じです。
或いは人間以外を持ち出すのも良いです。
三毛猫は すげなく雄を 追い払う いづこもおなじ 秋の夕暮れ
のような感じですね。
気がつけば 齢70に 届きたり 我身世にふる ながめせしまに
これも捻りが少ないのが難点です。もっとぶっ飛んだ発想を持ちましょう。
それが狂歌作りの楽しさにも繋がります。
例えば、
気が付けば ストリッパーに なっていた 我身夜に振る ながめせしまに
こんな感じ。