綱吉の
袴の儀式
子の無事を
神離れ
帯解き儀式
晴れ着かな
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七五三=3歳は髪を伸ばす「髪置(かみおき)」、5歳は初めて袴をつける「袴着(はかまぎ)」、7歳は、それまでの紐付きの着物に代わって、本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする「帯解(おびとき)・紐落(ひもおとし)」の名残りである。
・髪置きの儀=数え年3歳(満年齢2歳になる年)を「髪置きの儀」とし、男女とも行う。江戸時代は、3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終了する儀。
・袴の儀=天和元年11月15日(1681年12月24日)に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったのが七五三の由来とする説が有力である。数え年5歳(満年齢4歳になる年)を「袴儀」とし、男の子が行う。男子が袴を着用し始める儀。
・帯解き儀=数え年7歳(満年齢6歳になる年)を「帯解きの儀」とし、女の子が行う。女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀。
・神離れ(七歳までは神のうち)=近代以前は疫病や栄養失調による乳幼児死亡率が高く、数えで7歳くらいまではまだ人としての生命が定まらない「あの世とこの世の境いに位置する存在」とされ、「いつでも神様の元へ帰りうる」魂と考えられた。そのため、一定の成長が確認できるまでは、人別帳にも記載せずに留め置かれ、7歳になって初めて正式に氏子として地域コミュニティへ迎え入れられた。また、胎児・乳幼児期に早世した子供は、境い目に出て来ていた命がまた神様の元に帰っただけで、ある程度の年数を生きた人間とは異なり現世へのしがらみが少なく速やかに再び次の姿に生まれ変わると考えられていて、転生の妨げにならぬよう、墓を建てたりする通常の人間の死亡時より扱いが簡素な独特の水子供養がなされたりした。(wikipedia)