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正岡子規句碑

            ほばしら

横須賀や 只帆檣の 冬木立

 

 

明治21年(1888)8月、正岡子規は夏期休暇を利用して、友人とともに汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉で遊びました。碑の句は、横須賀港内に連なるはんしょう帆檣(ほばしら)の印象を詠んだもので、句集『寒山落木』に収録されています。 正岡子規は、慶応3年(1867)9月に伊予国温泉郡(現・愛媛県松山市)で生まれ、本名は常規(つねのり)。松山中学校時代は政治家志望でしたが、上京後は文学に転じ、文科大学国文科(現・東京大学)に進みました。彼は、写実(写生)を主張して、空想を排する俳句の革新を行いました。その考えを新聞「日本」紙上に、『獺祭書屋(だっさいしょおく)俳話』(明治25年)、『俳諧大要』(同28年)として表しました。また、句作は生涯に2万句を数え、特に明治25年(1892)から同31年(1898)までは毎年千句以上を創作しました。同30年(1897)には「ホトトギス」が創刊され以来子規派の雑誌として注目されました。一方、同年には、『歌よみに与ふる書』を「日本」に掲載し、短歌の革新にも着手しました。これは、俳句で主張した写生を短歌の上にも及ぼしたものでした。 正岡子規は、同35年(1902)9月に逝去(享年35歳)しましたが、彼の主張は、俳句では、高浜虚子、河東碧梧桐らが継承し、短歌では、斉藤茂吉、島木赤彦らの「アララギ」派に受け継がれていきました。また、彼の提唱した写生文は、夏目漱石、伊藤左千夫ら後続の文学者に影響を与えました。(ヴェルニー公園・碑文)

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