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お吉を弔うの句(片水)

お吉を弔いてよむ(片水)

               ツガイ

国交の始や鳩の番から

 

 

伊豆下田 宝福寺 唐人お吉記念館 お吉の墓の近くにある。

片水=金子直吉の俳号

金子直吉=鈴木商店の入店後の鈴木岩次郎が没した明治27(1894)年、よね未亡人を助け柳田富士松とともに番頭として実質の経営にあたるようになり、樟脳事業を担当するも明治33(1900)年には台湾樟脳の販売権の65%を得るまでになり、直吉は国内外に事業を展開し、鈴木商店の大躍進を見たのである。直吉は以後、「生産こそ最も尊い経済活動」という信念のもとに「煙突男」と揶揄されるほどまっしぐらに工場建設に邁進し、傘下企業のほとんどが生産工場という内訳であり、直吉が築いた大正期の産業の母体としては鉄鋼、造船、石炭、化学、繊維から食品に至るまでの80社を超える一大コンツェルンを形成した。
公私にわたり無欲で、直吉の念頭にあるのは「事業」のみ、私利私欲は微塵もない。終生借家住まいで、一文の私財も残さず、昭和2(1927)年、鈴木商店破綻により台湾銀行による鈴木整理にあたって、直吉のあまりに質素な生活ぶりに台湾銀行関係者は驚きと深い畏敬の念を抱いたといわれている。財界のナポレオンと称された。1866~1944(鈴木商店記念館

お吉を弔いてよむ(片水)

神様が
物言う時に成ぬれば
勲一等は君に授かる


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